Malzack Blog

— 丸山和訓のブログ —

作文が苦手な人の作文

もともとは文章が苦手だった。

特に小学生の頃は、授業で書かされる作文がイヤでイヤでしょうがなかった。他の生徒が原稿用紙を2枚目、3枚目とおかわりする中、僕は1枚が書き終わらない。

精一杯マス目を埋めて提出したら、「まるやま君は、接続詞が"それから"ばっかりですね。他の言葉も使いましょう」と言われ、落ち込む。たぶん根に持つ性格なのだろう。先生が言ったそのセリフと、赤ペンでぐるぐるとチェックされた"それから"の映像をいまだに覚えている。

それからは、文章に対するコンプレックスがさらに深まり、歪んでいった。中学生時代の卒業文集で僕が書いたタイトルは「作文が苦手な人の作文」だった。その作文は、「作文が苦手なので、たくさん行が埋まるような内容で書いた」と白状するオチで終わる。遊び心があると言ったらかわいげはあるが、なんとも生意気な学生である。よく先生もその内容でOKしたものだ。

それがいまや、文章を書くのが楽しみになっているから驚きだ。ブログをせっせと書くのはライフワークだ。自分の気持ちや考え方を文章にするのは、とても気分がよい。

そんな風に変わったのは、たくさんの本を読んできたからだと思う。20代の頃は特に多読だったので、かなり多くの文章がインプットされたのだろう。当時はそれらをアウトプットするまでには至らなかったが、この半年くらいでエッセイのようなブログを書き始めたら、ポロポロと自然に言葉がアウトプットされはじめた。

文章を書きながらも「そういえば、この形容詞は伊坂幸太郎のあの本で使われていたな」とか「この切り口は三谷幸喜っぽいな」とか思いながら、言葉を紡いでいく。

坂本龍一は「完全なオリジナリティはもうこの世に存在しない」と言った。この記事も、僕自身が今まで読んできた文章の組み替えでしかない。しかし、坂本龍一はさらにこう続ける。

一曲の中で5%は個人の本当のオリジナル。95%は伝統。自分は5%のおもしろい部分に興味がある。

だから僕の書く文章は、どこかで読んだことあるようだけど、どこにもない記事なのだ。

小学生の頃からのコンプレックスから解放されたのはいいが、反転して文章論なんかを語りはじめる生意気な部分は、一向に治らない。
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