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— 丸山和訓のブログ —

Spiritのカジュアルな和訳を考える回

「Body、Mind、Spirit」という解釈は、人間をひとつの全体としてとらえる上で重要な考えだと思う。

カラダが健全なだけでは人間は満たされない。たとえば、ストレスによって感情や精神が乱れてしまっては、いくらカラダに不具合がなくても幸福とはいえない。では、カラダが健全で、なおかつストレスがなければ、それで幸福は完成するかといえば、それも違う。

たとえばブッダがそうだ。彼は貴族として生まれて、何不自由ない生活を送っていた。しかし、なんとなく幸福感が得られず、すべてを捨てて旅に出たのである。現代でも、カラダとココロは健全なのに、なんとなく不幸を感じている人はいる。

この「なんとなく幸福感が得られない」という分野がSpiritの領域なんだと思う。先の例だと、Spiritが分断されているのだ。逆に「理由は特にないけど漠然とした幸福感がある」ときは、Spiritにつながっている状態だといえるだろう。

Bodyの和訳は肉体または身体、Mindは心、感情、精神あたりでいいだろう。しかしいざSpiritとなると途端にぶっ飛んだ言葉になる。よく訳されるのは霊性、魂、高次の自分など。あっという間に異次元の世界にワープしてしまう。これじゃあお茶の間の親近感は得られない。

Bodyは物質として触れることができるからわかりやすい。Mindも常に自覚できるので馴染みが深い。しかしSpiritは感覚としてピンとこない人も多いはずだ。その責任は、Spiritを現代語にうまく訳せていないことにあると思う。霊性、魂、高次の自分じゃ、伝わらないのだ。

「Spiritを感じるなぁ」と思う場面は、たとえば山に登ったときを想像してほしい。山頂に着いて景色を眺めていると、肉体も感情も離れ、ただただ存在としての心地よさを感じる。海をボーッと眺めているときもそうだ。考え事を離れて、自然を見つめているだけで心地よい。「気持ちいいー」という振り幅の大きな感情はなく、ただ"なんとなく良い"のである。Spiritには良い悪いという概念はなく、その存在に触れているときに幸福感を感じ、触れていないときに幸福感から離れるものだ。

瞑想は肉体と思考を離れてSpiritに出会えるワークだ。ヨガをやっているときにも、肉体でも感情でもないSpiritという存在が現れる。同じように、ジョギングをすることでSpiritに触れることもあるだろう。「ただ走るだけで楽しいの?」と思う人もいるかもしれないが、走っていて無心になれたときにSpiritがポーンと出てきて、「人生ってなんかいいな」「生きてるっていいな」と幸福感を味わうのだと思う。

ちなみに僕がやっている施術は「押されて気持ちいいー」という肉体的な心地よさでも、「話を聞いてくれてスッキリしました」という精神的な心地よさとも少し違う。終わった瞬間には、ただ存在としての心地よさを感じると思う。BodyにもMindにも反応はでるが、Spiritの領域まで丸っと整えたいワークなのだ。

まぁ正直ウケが悪いときもあるので、グイーッと押したくなったり、頭蓋骨をズイズイ動かしたくなのは毎回なんだけど、やっぱり人間はBody、Mind、Spiritが統合された、ひとつのユニットなんだという哲学を信じる。テクニカルなアプローチなら、他にもっと素晴らしい専門の場所があることだし。

ここまで書いてきたことを整理すると、Spiritとは肉体と精神から離れたところに、ふんわり存在していて、なんとなく心地よく、つながることで幸福感が得られる領域のことである。

ここまで文を積み上げた努力もむなしく、どうしても親近感のもてるキャッチーな和訳が見つからない。とりあえず今回のところは仮に「ふんわり幸福ゾーン」とでもしておこうか。

「人間とは、肉体、精神、ふんわり幸福ゾーンで成り立っており、それらはすべてつながっていて、ひとつである。」

やっぱり締まらないな。しかもゾーンって英語だろ。

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