丸山和訓のマニアックな話

丸山和訓のブログ

ミニマリストは本当にエッセンシャルなのか?


エッセンシャルといえば聞こえは良いのかもしれないが、その分母が大事である。

数字で表すと、100を1にしたのなら、それはエッセンシャルと言えよう。しかしながら、10を1にしたのがエッセンシャルと呼べるのかといえば、首を傾げざるをえない。最終的に残った数値はどちらも「1」であるが、その凝縮感は全然ちがう。

これはモノの量だけではない。質や経験も含まれる。たとえば、僕はビルケンシュトックの靴を履いている。しかし、そこにジョン・ロブの靴はない。その理由は、高価で手が出ないからだ。

だから、僕が言う「ビルケン最高!」と、ジョン・ロブを試してきた人が「ビルケンで十分ですよね」では、エッセンシャル具合がまったく違うのである。

これはモノの質だけでなく経験にも当てはまる。僕は旅行がそんなに好きではないのだが、そんな僕が「海外に行かなくても幸福は味わえます」と言ったところで、説得力はない。それはエッセンシャルではなく、ただの未経験である。

高品質なモノを買え、旅行経験を積め、ということではない。僕が言いたいのは、自分が知らない範囲のことに口を出してはいけないということだ。

世の中を全部見てきて、ありとあらゆるモノを手に入れてきたように、「モノは幸せにしれない」「これで十分」と主張しても、まわりからすれば「それは痩せ我慢だろう」と思われてもしょうがないし、それはど真ん中のストライクなのである。

そういう意味では、ゆるりまいさんの「捨て変態」という表現は上手だと思う。あくまでも個人的な趣味趣向であって、他人に幸福論を押し付けないニュアンスがある。

そろそろ終わりにしようと思ったが、もうひとつ言いたい。

エッセンシャル思考が流行っているが、あれは、複雑に考えられる人のツールだと思っている。そもそも複雑に考えることができない人に、エッセンシャル思考はない。最初に例に出した「100から1」と「10から1」の違いである。

エッセンシャル思考は、短絡的な思考ツールにもなり得る。YouTubeで誰かが小学生でもわかるように説明してくれないと理解できなくなっている今、必要なのは、枝葉を広げて複雑に考えることだと思っている。

「シンプルに考える」ばかりをやっていると、シンプルにしか考えられなくなる。思考は複雑に、アウトプットはエッセンシャルに。そんな感じがいいんじゃなかろうか。

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