丸山和訓のマニアックな話

丸山和訓のブログ

パンチャコーシャ(5つの鞘)をわかりやすく例えてみる


ヨガ哲学のパンチャコーシャが覚えづらい。直訳すると「5つの鞘」という意味なのだが、理解するだけで一苦労。なので、難しく考えすぎず、まずはふんわり捉えると良いのだと思っている。

「鞘」という表現はわかりづらいので、僕たちを構成する「5つの領域」として話をしてみる。ひとつずつ紹介していこう。

1つ目が、自分自身。

2つ目が、判断。

3つ目は、感情。

4つ目は、機能。呼吸、血液、ホルモンなど。

5つ目は、肉体。筋肉や骨格。

自分がいる。「I don't like You!」と聞いて、それがネガティブな言葉だと「判断」する。次に、怒りの「感情」が作動する。ストレスホルモンが発生し、「機能」に影響する。最後に、「肉体」までもが緊張してくる。

つまり、「自分」→「判断」→「感情」→「機能」→「肉体」となる。これが僕たちを構成する「5つの領域」だ。

ここから少しややこしくなるのだが、「自分」が「自分」だとすると、「判断」「感情」「機能」「肉体」は、“自分ではない”ということになってしまう。「自分の肉体だけれど自分ではない」という不思議な構図になる。しかし、この疑問も、例えを使うとスッと入ってくる。

肉体は、例えるなら「家」である。骨組みがあり、屋根があり、配管が通されている。家がないと路頭に迷うが、家は自分自身ではない。

機能は、いわば「ライフライン」である。骨組みがあり、配管があっても、それだけではただの囲いである。ガス・電気・水道を契約してはじめて真っ当な生活ができる。だけど、そのライフラインは自分自身ではない。

感情は、「道具」に相当する。暮らしに彩りをもたらすのは、道具である。掃除機があれば、部屋がキレイにできる。テレビを持てば楽しくなる。道具があることで暮らしは豊かになるが、道具は自分自身ではない。

判断は、「本」と言えるだろう。いくら道具があっても、それを動物に使わせれば正しく使えない。掃除機を道具として使えるのは知識があるからだ。知識があるから、人は判断できる。

最後に、その家に住み、ライフラインを使い、道具を用い、本で知識を得ているのが、自分自身だ。自分は自分。家でもなければ、ライフラインでもなく、道具でも本でもない。

ということは、判断も感情も機能も肉体も、自分そのものではない。自分の本質はその内側にあるのだ。

自分の本質がスピリット。つまり家の住人。

判断と感情はマインド。暮らしの知識と道具。

機能と肉体はボディ。生活の基盤となるライフラインと駆体。

こうやって考えると、ヨガ哲学の「パンチャコーシャ」がようやっと身近に感じられるようになる。あとはアーサナと瞑想をやって、これを実体験の知識として理解していく。その行為がヨガなのだろう。

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